northmaoのブログ

脳出血、教師のことが多くなりますが、基本徒然ならままに…。

明るい脳出血4

 リハビリは、部屋ごとに担当が決まっていました。集中治療室は、容体が落ち着くと出ていく部屋なので、先生の立場からすると、担当の顔ぶれは割合早く変わったのだと思います。容体が安定したり、逆に亡くなってしまった方もいるでしょう。脳外科はシビアです。命に直結してます。私のリハビリも、二日ほどだったと思います。意識のない方も先生が体を動かし、リハビリします。そして、患者は意識が無くても命の危険がなく、安定したら別の部屋へ行きます。

 集中治療室にいた頃は、全く右手右足が動かなくなっていました。ベットの上で寝たきりになり、しっかり動く左だけを仕切りに動かしていました。動かないと手も足も日頃感じたことがないくらい重いです。実は以前腕の骨折で手術をしたことがあり、麻酔をした時などに腕の重さを実感したことがあったのでそこは懐かしい感覚でした。足は初めてでしたが。ベットの上で足を持ち上げることも、三角に立ち膝をすることもできませんでした。同じ格好で寝てばかりいるとだるくなってきて、足を動かして立ち膝にしようと思ったのですができません。力のある左足で右足を持ち上げ、左足をようやく立ち膝にしても、スルスルっとシーツの上を滑り真っ直ぐになってしまうのです。立ち膝にするだけでも筋肉を使ってるんですねえ。でも、それを果敢に繰り返すと、シーツと擦れ合う衣擦れの音とか左足をバタバタする音とか静かな機械音しかしない集中治療室の中ではうるさかったのでしょう。明らかに脳の手術をした40歳くらいのヤンキーぽいパンチパーマの隣の男性に「うるせー。」とつぶやかれてしまいました。ほとんど、読唇でわかりました。ちょっと、反省…。その折は、すみません。

 そんなふうにジタバタ何もできない状態でどんなリハビリをするのかと思いきや、リハビリの先生が指や足を動かしてくれるのです。それと、精神的なケアもあったのかもしれません。話し相手になってくれました。その頃の私の喋りは、聞き取りにくかったと思います。でも、盛んに話していたところを見るとまぁ通じるくらいではあったのでしょうね。看護婦さんの配慮で電話で夫と話せる場面があったのですが、電話では何を話しているか分からないと言われました。その後、毎日手紙と質問といろんなバリエーションの質問の答えの書いた付箋を何枚もつけたものが病室に届けられました。集中治療室は、携帯は禁止でしたし。夫はさぞかし驚いていたのでしょうね。日頃バリバリ教師として働き、すごいおしゃべりの私でしたから。あと、人間は顔を見て話すので、読唇や話の流れや顔の表情から伝えることも大きいのだと実感しました。電話は、あるヘルツは、あまり届かないとも聞きました。微妙な音は聞こえず、それで何を言っているのか分からなかったのかなと思います。まぁ、リハビリの先生も慣れていらっしゃるのだと思いますけど。

 因みに、先生は若いきれいな女性でした。結婚されたばかりだって言ってたかな?