northmaoのブログ

脳出血、教師のことが多くなりますが、基本徒然ならままに…。

明るい脳出血3

 病院で、当たり前ですが、脳出血のその現実性をあまり実感できず、動けないくせに。でも、仕事に行かなくていいということだけは1番身に染み、何を考えたか…通知表を書かなくていい…これでした。通知表についてはおいおい感想を述べますが、記述の多いことは私にとってはものすごく、それを人間の評価となると適当には書けるわけもなく、年2回は、明けない夜はないと呟き、栄養ドリンクを飲みながら頑張ったものです。しかも、私は傭兵教師で生活は夫の働きだけで十分普通に暮らせたので、いつも辞めたいと思っていたのに、子どもたちの魅力と何とかうちでやって欲しいという校長の教師冥利に尽きるお願いからでした。つまり、臨時の先生でした。それも、結構な確率でクラスの立て直しをしました。

 これで、自分の先生としてのやりがいから離れがたい気持ちへの諦めと仕事として子どもの命を守ることにおぼつかなさを覚え、堂々と辞める言い訳が立つことになったことにどこか安堵してました。変な話です。

 そしてリハビリは、入院した次の日から始まったのでした。すごいですよね。知らなかったです。