northmaoのブログ

脳出血、教師のことが多くなりますが、基本徒然ならままに…。

明るい脳出血12

 さて、6階のリハビリ病棟に移った私ですが、重傷者の部屋に入ったわけです。すぐに、かなり動くことができ日常生活ができそうな方の多い部屋に移るのですが、その病室にはかなり印象深かったので、もう一つ。

 朝、6時に起床だったので、そこから入院患者動き始めます。歯ももちろん朝食後です。でも、彼女たちは胃ろうだったし、歯も自分で磨けなかったのでオーラルケアが朝早い時間でした、1日一回なのでしょう。朝食が始まったら忙しくなる看護士さんたちです。仕事のちょうど落ち着くギリギリの時間なのでしょう。順番にオーラルケアをしていってるのが分かります。私も胃ろうをしていたのですが、自分でオーラルケアをしていました。痰の吸引も大事な仕事です。詰まってくると音が変わってきます。定期的に看護士さんが来て綺麗にしていきます。あれは、人口呼吸器なのでしょうか?あと、寝たきりの方にもリハビリがもちろんあります。動ける方達はリハビリ室にいくのですが、ここの部屋の人たちにはリハビリの先生たちがみんな来ます。大きな声で明るく話しかけ、いろいろな器具を使って体をほぐし、動かしていきます。時には車椅子に乗せて移動していきます。本当に丁寧で、明るく朗らかに話しかけるとへやがはなやぐようです。頭が下がりますし、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。

 私のことに戻ります。バイタルを計る機械は電波で飛ばしていたので線は繋がっていませんでした。それに、そこでは外していました。次に取れたのは点滴です。とろみをつけた水を飲むように言われ始めていました。導尿はしていました。やがて導尿も取れました。でも、鼻から入れる胃ろうはなかなか取れません。試験が必要だったのです。飲み込みのテストです。誤飲は命に関わるので、とっても慎重でした。窒息はもちろん、誤飲で肺炎をおこします。食事の時は看護士さんが見回っています。でも、ようやく耳鼻咽喉科の先生が来てくれました。動かせるレントゲンを置いてスプーンいっぱいのゼリーや唾の飲み込みをしてみます。随意で嚥下と動きもします。合格し、初めての食事の嬉しかったこと。お粥でしたが。全粥です。上手に炊いてます。お粥って作るの案外面倒なんですよね。離乳食作りで知ってます…。二人育てました。美味しく作るのは、また面倒です。でも、裏技があって、湯呑み茶碗にお米と水を入れて、炊飯器に入れると赤ちゃんが食べるくらいの少しなお粥は一緒に炊けるんですよねー。お粥でも、大体のおかずは食べやすくなって出てきました。でも、カレーがありませんでした。週に一度のカレーの日。待ち遠しかったです。

 

明るい脳出血10

 さて、6階に写ったわけですが新入りなもんですからナースセンターに激近の部屋でした。つまり、一番ケアの必要な方達がいるところです。新入りだったからではなく、そこしか空いていなかったからかもしれません。作業療法の先生はnorthmaoがどうしてこの部屋?と思ったらしいです。寝たきりの人ばかりでした。意識ははっきりしている方もいたようです。お一方はかなりはっきりしているのにほとんど寝たきりな上、喋ることもほとんどできませんでした。ナースコールも推せないらしく、かろうじてゆすれる足を揺すって壁に足をぶつけ、看護師さんを呼んでいました。それが、私の見る限り大便をする時です。おむつをしていてそのまましていいので、聞き取れても出していいよとしかならないのです。でも、次の日、激しく足を揺すり壁に足をぶつけていました。激しくと言っても、健常者から言えば本当に弱々しいものでした。そして、看護師さんがきたときには、大便をしていたのです。しかも、お腹が痛かったのか緩い大便でするときに気持ちが悪かったのか横向きでしたので、漏れてしまったらしく、量も多かったのか、シーツまで汚しました。それは、寝巻きも何もかもということなので、どんなに気持ち悪かったことでしょう。私はいたたまれず、車椅子で部屋を後にしました…。もちろんカーテンをして看護師さんが片付けているのですが一人ではなく数人いらしてかいま漏れる会話から相当ひどいことが予想されるのです。匂いもしてきます。精神的にも辛かったに違いありません。あんなに壁を叩いて…。

 私はお手洗いまで車椅子で連れて行ってもらい、パンツを下げるところまでやってもらいます。用をたすときは、個室から出て行ってくれます。でも、立ち上がるとき、つまりパンツをあげるときは、また、看護師さんを呼ばなければいけません。一人でやって、万が一転んだら、事故扱いになります。しっかり呼ぶよう言い聞かせられます。いつ一人でパンツを下ろせるようになるのだろうと思いました。なるのだろうか?と思いました。いつか、家に帰らないといけない日が来たら、夫や娘にパンツを下ろしてもらわなければならないなんて…。それだけは、お手洗いだけは自分でできるようになりたいと思いました。それまで、長かったです。理学療法の先生からお手洗いの合格をもらうのは、まだまだ先のことですが、待ち焦がれました。

明るい脳出血9

 それから、また部屋を移りました。看護助手さんからラッキーだったねと言われたのは6階に移れたからです。その頃の私は何のことかわからなかったのですが、6階はリハビリ専門の病棟だったらしいです。しかも、リハビリ用に内装も変え、他の階より廊下が広く明るくリハビリもしやすいらしいのです。でも何より良かったのは、毎日リハビリできることです。

 他の会も毎日はしていたのですが、土日は看護婦さんがリハビリの先生からメモを渡され、代わりにリハビリのお付き合いをしてくれたのです。忙しい看護婦さんに付き合ってもらうのは気が引け、どうしても時間が短くなりがちでした。ところが6階では土日もびっしりリハビリの先生が着くのです。1日だけ空きがなく、他の階にいました。そして、偶然空きができたんだそうです。6階に入らなかった人は、別な階にいるのですが、内科とか耳鼻科、整形などの得意分野に分かれているらしいです。特に脳出血の他には何もない私は、すぐ6階に割り振られたのだと思います。

 どういうシステムかよくわかりませんが、リハビリの先生は部屋付きでした。なので当然私の担当者も1日だけとは言え、変わらないといけません。ですが、作業療法の先生がちょうど空き時間があるから、また私にしたいと言ってくれたら私になるけどと言ったので、もちろんそうしてと言いました。後から考えるとみんなとてもいい先生ばかりなのでそれほど固執はしていなかったのですが、せっかく仲良くなったのだから…と思ったのです。そして、作業療法の先生はその時の私の理学療法の先生とも仲良しだったので、二人で組んで、また担当になってくれました。言語療法は、人数が少なく、最初から担当は変わりません。私は、その御三方プラス担当の看護師さんとお医者さんにお世話になりました。チームnorthmaoと言ったところです。因みに、お医者さんを除くリハビリの先生や看護師さんは皆さんピチピチの20代です。しかも、美女揃いで理学と作業の先生はとびきりの美女だったことを付け足しておきます。そして、あの御二方とは特にお喋りし、特に仲良くなりLINEもして、遊びに来てもらう約束をしました。残念ながらコロナで今は遠慮しています。恩人なので、早く会いたいです。本当に濃密な4ヶ月でした。まぁ、彼女たちにしたら仕事なんですが…。でも、たまにこんな患者がいてもいいと思います。先生だったので、ちょっとそう思うんです。大人同士だし、私は患者の立場ですし、ちょっとわがままを言ってもいいかな?何て…。そこの病院には、リハビリの先生たちが100人はいるらしいので、これもまた出会いです。^_^

明るい脳出血8

 リハビリは、起き上がることから始まりました。手を使えても起き上がれるない人もいるのですが、腹筋の違いでしょうか?私は、スポーツもさしてやらない人間でしたがとにかくずっと立っていて細々動くことの必要な教員だったので基本的な動くための筋肉がしっかりしていたのかもしれません。ベットの柵をつかんで起き上がる人もいる中、何もなくても私は起き上がっていました。でも、確かに右側の腹筋はあまり無いようで、左側の腹筋のみだったので右足を高めに振り上げ勢いを付けて起き上がってました。恥ずかしながら、元々腹筋がなく、普段から足を振り上げていたのでまずまずといったところでしょうか。

 リハビリの先生は、その起き上がり方ではなく、横向きになって身体をくの字にし左手を使っての起き上がり方を教えてくれました。なるほど、起き上がりやすいと思ったものです。あの頃は、確かに起き上がることだけでも、今までより自然なことではなく気合を入れてする行為でした。

 次は、靴を履くことでした。これがなかなか1日目はなかなか履けず驚きました。立つことができないので、自分の体重で靴に足を押し込んでいることが理解できました。二日目からは、足を組んだり、絡めたりして靴を履くことが上手になってきました。靴を履く。こんな普通にできた、普通の行為がとても尊く感じました。歩けなくなるとことなどにはありがたいことなんだなぁと健常な頃から思ってはいたものの、こんな他愛無い靴を履くという行為。嬉しかったです。

明るい脳出血7

 さて、部屋を移動しました。集中治療室から待機部屋みたいな1週間ほど居られる部屋でした。3人でした。一人は、ちょっと痺れを感じる方で私がこの部屋を出る時退院しました。もう一人は、やっぱり脳梗塞で左手が動かなくなってきた方です。でも、歩いていました。羨ましいったら。やはり私が部屋を移った時あたりで、部屋を移りました。その部屋で身の処し方が決まるのかな?

 まぁ、1週間そこで過ごすのですが、当然車椅子でした。数日は全ての線がつけられていました。導尿、胃ろう、バイタルですね。バイタルはポケットに携帯みたいなものを入れ、そこから線が出てシールみたいなもので心臓近辺に貼り付けていました。一つずつ、線が取れていきました。まずは導尿だったかな?トイレに連れて行ってもらえます。もちろん大便もです。最初はおトイレがとかで忙しい看護師さんを呼び出すのが悪くて悪くて。でも、絶対呼んでくださいと言うので、呼びます。最初はベットから車椅子に移ることさえ看護師さんがいないとだめだと言うことでそこから呼びました。でも、私は教師として立って仕事をしていたからなのか、体力があり朝にお手洗いに行くとそのまま椅子で過ごさせてもらっていたと思います。そして、リハビリが始まりました。

 そこの部屋専門のリハビリの先生です。まずしたことは、マッサージからです。これが気持ちいいです。肩こり知らずの私でしたので、マッサージなど受けたこともなく、初体験?短時間肩を揉んでもらったことがあるもののそんなに切実ではなかったので、うん、気持ちいいねと言った程度…。それが、今では右手右足が動かないせいか固まってきて、体が柔らかみの私も関節が開かないのです。つまり、開こうとしても動かないし、開いてもらったら痛いのです。なので、マッサージはとても気持ちがいいものになったのです。

明るい脳出血6

 さて、排泄についてです。汚いこと、禁忌なことなだけに、あまり目にしたことのない世界でした。朧げながら、看護師さんは、大人の下の世話もするんだなあ、とその程度。

 私は、元小学校のセンセでしたが、ほとんど下の世話をしたことがありません。一度だけ衝撃的な大便洩らされ事件がありました。30年ほどセンセしたのにです。1年生も何度も担任したのにです。ラッキーかもしれません。嘔吐も床にされたのはないんじゃないかな。大体、トイレや洗面所、容器に嘔吐してくれました。子ども心に迷惑をあまりかけたくないと思うのですね。具合が悪いのにいじらしいです。小便ももらされたことはないのです。他で詳しく書くとして、結果として何もできませんでした。シャワーもお風呂もない小学校。ゆるい大便は、小学6年生のそれでも小柄な子の量は、想像を絶する多さでした。ズボンの下と素肌の間を流れ落ち、無我夢中で拭けるものは拭いても、乾いた部分もありとても拭き取れるものではありません。時間をかけて拭いたとしても苦痛でしょう。でも、便がこびりついたまま着替えさせても何になるでしょう。教室に戻すわけにもいかず、腹痛も治り、発熱もないこの子をどうするか、咄嗟の判断でそのまま走ってうちに帰るように指示して、親に電話をかけました。両親は働いていたのですが、幸い二人と校区内に職場があったのです。割合近かったのです。親に事情を説明しすぐ帰ってもらい、処理してもらいました。実情を知ってもらうにも良かったと思います。残しても晒し者になる気分だったでしょうし。他の先生の前だとしても、友達なら尚更。すぐにこの場から立ち去りたかったと私は思ったのです。6年生の女の子でしたから。見るのは私だけで充分。

 というわけで、自分ことです。小便は導尿をし、トイレに行かずとも勝手に出ていました。尿意も感じません。股間にチューブが挟まっていることはわかります。時々看護師さんが、チューブが入りつつあるところを消毒してくれました。大便はどうするのかというと、これがオムツです。私は、幼い時から便秘知らずで、肛門の穴が小さいように思いました。うんちの太さを、見たことがあったのですが自分のは細かったからと、友達が小学生の頃から、うんちをするといつも血が出ると言っていたので、どんどん肛門が広がってるのではないかと思いました。ものの本で、そういう嗜好の方は、肛門の穴を広げる練習?もするということもあると…これは分かりませんが。何を言わんとしているのかというと、そんな私が2回の出産で初めて便秘になり、切れ痔になり、小さなイボもできてしまったのです。しかも、たぶん、便が硬くなったことで、肛門前のスポットが広がり便が肛門より太くなるようになってしまったのです。便が硬くなると、出すのにとても苦労しました。イボは幸い小さかったので何とかなりました。大便が固くならないような食生活を心がけたことと大便をするときはいつもシャワーをかけ、出やすくしてからしたのです。場合によっては、水の勢いを強くし、肛門から腸内に水を入れ、便に水分を含ませ柔らかくしたり、水でほぐしたりして出したのです。まぁ、勤務先なんかでは、そんなシャワートイレがなかったので、苦労しながら時間をかけてしたこともあります。スルッと出ることもあるんですけどね。なので、寝たきりで、食べ物もそんなに食べない状態で便意は感じるのだろうかと不安もありましたが、その時は下剤を飲んで出すのだろうと悠長に考えてました。看護師さんの苦労を思いながら…。

 食事は、流動食、胃ろうで流し込むものは始まっていました。ミルクのような、それよりちょっとベージュがかった、ココナッツの匂いのするようなものでした。直接胃に行くので味わいこそしませんでしたが、チューブに入れる点滴の器のようなものに入れる時に匂いがしたのです。胃腸が刺激されたんですね。便意があったので、看護師さんに訴えました。もしかしたら、お手洗いに連れて行ってもらえるかもしれないと、一縷の望みをかけて。意識がなかったり便意のない人だけがオムツにするのかもしれないと思ったからです。でも、右手が動かず、立てない私がトイレに行くのは途中でされても危険ですし大変です。そのまましてくださいと言われました。それでも、人間、そのまま出すのには、抵抗というか、躊躇というか、どうしたらいいのかと思うのです。だって、液体じゃなく、固形です。しかも寝ていて、その下から出すんです。物理的に出にくいし、こびりついてしまうと思うでは無いですか。普通の時、大便を出すのに、シャワートイレで水で出しやすくしていた私なので、このままスルッと出るわけがないとも思いました。

 ところがです。運のいいことに、ベンの硬さはやや硬めでこびりつきにくく、もう、肛門の間際まで降りてきていたので、我慢?できるわけもなく、出しました。というより勝手に出ました。私は横向きになって出しました。見たわけでは無いのですが、ゴロンと卵を産んだかのような感じでした。看護師さんは処理が楽だったような気がします。何回か拭けば、こうもんも綺麗になった気がします。こうして、私のオムツライフはコンパクトに済み、それからは集中治療室から出て、トイレに連れて行ってもらうようになり、自力でするようになりました。ただし、これまでと同じように、ついシャワートイレに頼ってしまいましたが。シャワーする前に出す練習したほうがいいですね。その気になればできるんです。集中治療室で自信もつきました。ハハハ。

 とりあえず、トイレに連れて行ってもらえるようになったのは一歩前進です。おむつの生活は、しなくてすみそうだなと思ったものです。そうなったらそうなったで、色々テクニックも考えたかもしれませんが。フフ。

明るい脳出血5

 さて、何もわからずリハビリだとぼんやり思いながらリハビリしてもらってたのですが、この歳だしそんなに動くようになるとは全く思ってませんでした。そのくらい全く動かないのです。ピクッとは動きましたが。なので、精神的なケアが大きいのだと思ってました。だから、話すが勝ち?みたいな気分でいましたし、精神的ダメージはあまりないなぁと感じていたので気楽なものでした。ところがです。子供がもう大学生以上で、これから先は自己責任程度の思いしか無くなってきていたのに、それなのに、子どものことを話していると、感情的にはそんなに悲しくないのに涙が止まらなくなってしまいました。あれ?どうして涙が出るのかな?と仕切りに口に出していました。もう、止まりません。怒涛のように涙が出てきます。涙の成分には、ストレスを発散させるようなものも含まれていて、泣くことでスッキリするとも聞いていたので、他人事のように、まぁ、泣いておこうと、ちょっとだけ思いながら、ちょっとだけ焦りました。へへへ。リハビリの先生が慌てたことは言うまでもありません。

 まぁ、脳出血のことで涙が出た自覚はないのですが、これが脳出血に関して涙した最初で最後です。いや至って心は不思議とそんなに悲しくなかったんですが。どうにかなるでしょ的な。世の中には、もっと体の動かない人がいるし、左がピンピンしているし、何より痛みがちっともないんです。痛くないって、いいですよぉ〜。

 そして、すぐこの部屋を出ることになるのですが、この部屋の看護師さんにも新人さんがいるようで…。まだ、4月末だったのでフレッシュだったかと。何かと話しかけてくれました。特に私は髪がとても長く腰まであっていつもは一本で縛って、くるくるっと上に持ち上げ止めてました。何のことはない、仮に行くのが面倒でまとめて結えると汚れにくいんです。でも、若々しさも欲しいから、しっかり結わえてなく、横に垂らしてました。右手を頭に持っていくことなどできなくなったので、切らないとなぁ〜とぼんやり考えていたのですが、髪の毛をいじるのか好きな子、上手な子っているのね。特にフレッシュな子は、何をしたらいいのかわからないわけではないけど、とりあえず清潔にしてくれようとしました。寝たきりの私の頭を二日いたそのお部屋で2回洗ってもらいました。そう、毎日です。その上編み込みまでしてくれて。この歳になって、ツインテール!参った。まぁ、寝たままなので、寝易い髪型で良かったですが。私は髪の量がすごく多いのです。短くするとすぐわさわさになるので長くしてたってこともあるのでとてもスッキリしました。ありがたや〜。

さて、この次は、なかなか話題にしにくい排泄について…。恥ずかしいことも教えるつ、も、り。何て^_^。